薄毛の自分が「ハゲ坊主」という生き方を選択した6つの理由

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自分が「薄毛」を自覚し始めたのはおそらく8、9年近く前。

で、頭髪のケアですが、床屋には全く行っていません。ずっとバリカンを使って自分で坊主頭に刈っています。

なので、平たく言うと「ハゲボウズ」って事ですね。もしくは「ボウズハゲ」?

「ハゲの坊主」と「坊主のハゲ」、まぁどっちでも大きな意味の違いはないかもですが・・。

 

でも、薄毛になった人の中には、いくら禿げていてもボウズ頭には抵抗があるって人も多いのかも知れません。

そこでここでは、自分が「ハゲ坊主」にする理由について書いてみようと思います。何かの参考にでもなれば幸いです。

 

もともと坊主頭が好き

自分は、スポーツは何といっても野球が好きです。

特に高校野球は、小学三年生くらいの頃から夢中になっていたと思います。 甲子園大会があるのは春休みや夏休みの時期ってこともあり、応援している学校の試合は、テレビの前に正座して手に汗を握りつつ力を込めて見てましたね。

 

試合に熱中しながら、熱戦を繰り広げる高校生のお兄さんたちに憧れる気持ちもあったのだと思います。そして試合をする選手達は、ご存知のようにすべからく皆ボウズ頭。

小学校高学年の頃には、自分の意志でスポーツ刈りとか長めのボウズ頭にした記憶もあります。

子供の頃のそういった経験もあって、普通の人よりはボウズに対する抵抗感はそれほどなかったのかも知れません。

「潔さ」が好き

次に、いくつか自分の性格における特徴を見ていきたいと思います。

まず第一に、些細な事でも汚いことや汚れを気にする潔癖な資質は、病的なほどではないものの強くあると思います。

 

また、たとえ自分が損をしたり不利益を被る事があっても、変に悪あがきをしたりせず、あっさり手を引いたり物事に執着しないという傾向はある方なんだろうと思います。

なので、髪が薄くなったらなったでそれも良し、とスパッと割り切れますね。

「シンプル」である事が好き

次に、自分の内面における色んなものに対する好みの特徴として、何事もあまりゴチャゴチャ飾り立ててあったり余計なものが付いてるものよりも、短く少なく簡潔に、シンプルである事が好きという点が挙げられます。

 

例えば、また高校野球の話をするようで恐縮ですが、甲子園常連校の中では神奈川県のある高校の校歌は自分には冗長で、長ったらしく感じられます。

それよりは宮城県の某高校の校歌は、とても短くまとめられていて非常に好きな校歌の一つです。(分かりにくい例えでスイマセン)

なので髪の毛に対しても、さすがにスキンヘッドにはまだした事はないですが、短くサッパリとしてた方が基本的に良いかなと思います。

洒落っ気がなく、ズボラである

次に、先に挙げた性格の特徴と一見相反するようですが、自分は興味や関心がない事に関しては面倒くさがりで、相当にズボラな面があると思います。

周りの空気を読んだり他人の視線をとても気にする一方で、逆に外見を取り繕うのが面倒で、どう見られようが勝手にしろ、と言ったようなある意味達観したような所もあります。

 

異性に好意を持たれたいという気持ちは人並みにある筈だけど、オシャレとか服装とかにはほとんど興味なく、同じようなシャツやズボンをずっと着まわしていたりしますね。

その点でボウズ頭は、朝起きて寝グセを直したり髪を整えたりする必要もないし、頭を洗う時でも簡単だしすぐ乾くし、ベトベトしたりする整髪料を付ける必要もないし、やっぱり自分に向いてるのだと思います。

床屋に良いイメージがない

あと、自分も昔は普通に床屋さんに髪を切りに行ってましたが、思い返してもそれほど良い印象が残っていないですね。

例えば、やたらに混んでいて待ち時間が長かったり、格安店ではない普通の理髪店では、1回の料金が4000円とか5000円近くだったりで結構な出費となりますね。

 

また、自分がオシャレに元々無頓着で、ヘアスタイルも詳しくない事もあって、注文したイメージ通りの髪形にならなかったりしました。

そういう経験もあって、初めて行った床屋で切ってもらう前に、ヘアカタログを見てそれを見ながら注文しようと思ったら、中年男性の店員に「そんなものない。帰ってくれよ」と門前払いされた事もありました。

 

また、格安の理髪店では客も多くやたら忙しそうでした。一度、相手の店員もなんか知らないけど、明らかに不機嫌そうな時がありました。

こちらは普通に客として、髪を切ってもらいに静かに待っていただけなのに、自分も大人しそうな見た目でもあるからか、シャンプーとかで頭を動かす時にはたくような動かし方をされたり、ぞんざいで失礼な接客をされて腹立たしい思いをした事もありました。

 

そんなこんなで、髪を切ってくれる人が女性ならまだ良いんだけど、ちょっと悪い言い方をすれば、見知らぬ「野郎」に頭をいじられるのも気分の悪い事だと思うようになりました。

と言う訳で、自分は薄毛になる以前からバリカンを買って、自宅で自分で頭を刈るようになりました。なので、もう10年かそれ以上床屋には行ってないと思います。

自分で似合ってると思える

中学生くらいの頃、自分でスポーツ刈りとか短い頭にしたものの、若い自分でそれなりに色気づいた年頃でもあり、洒落っ気の無い頭にちょっと不本意な気持ちも心のどこかにあったと思います。

散髪したばかりの自分の頭を見て、母親は「短い髪の方が似合う」と私に言いました。でも自分は、自分でやった事にも関わらずどこかモヤモヤした、不満な気持ちが心の片隅にありました。

 

でも、自分は頭でっかちで「ひょうたん型」とでもいうのか、こめかみから上のおでことか側頭部が膨れているような感じのアタマなので、あんまり長髪は似合わないかなぁって感じがします。

なので、今では自分でも短い髪の方が似合うって心底思っています。もし仮に薄毛になってなくても、髪を伸ばすことはないだろうって気がします。

まとめ

以上、自分の過去の嫌な記憶も思い返しながら、自分がボウズ頭で暮らしている理由について書いてきました。

改めて、自分についてこうなった理由を見てみると、ボウズになるのは至極当然だったなぁって感じがしてます。

 

「ボウズ」っていうと一部怖いイメージも付きまとったり、強く抵抗を感ずる人もいるかもですね。

でも、中には自分のようなボウズもいるって事が伝わって、色んな人がいるっていう理解にもつながれば、ここに書いた意義も少しはあるのかなぁと思えたりもしますが・・。いかがだったでしょうか。

ともかく、自分は薄毛のままでもそうでなくても、ボウズ頭を一生続けていくと思います。

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